我が家での介護について
我が家における介護について
私は2011年から母の介護を始めました。このブログでは我が家の介護の方針について少し詳しく書いてみたいと思います。 8 介護に関する話題はプライバシーに関わることも多いので、ネット上に情報が少ないと感じることもあります。だからこそ、我が家の経験が誰かの役に立つことを願いながら、このエントリーを書いていきます。
母の介護体験:始まり
私が母の介護を始めたのは2011年のことです。ある朝、母の様子がおかしいと父から連絡があり、急ぎ帰宅すると、母は救急車で地元の脳外科病院に運ばれた後。台所には嘔吐をしたあとがあり、まさに典型的な脳卒中の症状だった、とあとで思います。これが始まりでした。
幸いにして、母は発見が早く、比較的早く病院にはたどり着けたのですが、出血範囲が広く、医師からは「命があぶない」「意識が戻らないかも。戻っても寝たきりになる可能性がある」との厳しい見通しが示されました。しかし、脳外科の先生のケアと、皆様のご協力で意識を回復。その後超急性期の脳外科病院から、リハビリを行う為の病院へと転院しました。
当時は、そのリハビリ病院で世話になった医師が母と非常に相性がよく、また家族全員でリハビリを頑張ろうという姿勢で挑めたのも大きいと思います。
リハビリの成果
リハビリは、家族でだれかが毎日母の病室に行き、リハビリの進行状況を確認し、続けるように励ました結果、初回の脳卒中から立ち上がることができるまでに回復しました。歩行機を使えば歩けるようになり、一部の料理をすることも可能になりました。ただし、高次脳機能障害というのが残り、運転はできなくなりました。それで退院をしました。
この時点では、要介護度は当初は2、そのあと母の経過が良いため、要介護度を1に下げることもできています。
二度目の脳卒中とその後の生活
それから約1年後に、母は二度目の脳卒中を経験しました。この時は、出血量は一回目ほど多くなかったものの、再び施術。一回目の脳卒中で出血したのと反対側の脳で出血で、更に障害が重なることになりました。
それでも、また、ひたすらリハビリを頑張ってくれて、その成果で、家の中ではまだ歩ける状態まで回復。当初、歩けなくなるかもしれないと言われたにも関わらず、リハビリを続けた結果、動きが改善しました。
ただ、視野欠損と高次脳機能障害が悪化したため、料理などは難しくなりました。 この時点で、要介護度は2と認定されました。
介護の方針:社交的な生活を維持
家族としての介護の方針は、母が家に閉じこもらないようにすることでした。母は基本的に社交的な人なので、デイサービスに行くことを楽しんでいました。私たちは介護保険で得られるほとんどの部分をデイサービスに使用することにし、ケアマネージャーさんにはその設計を依頼しました。
介護用品のレンタルは、歩行器と車椅子という、継続してメンテナンスが必要な部分だけにとどめ、立ち手すりなどはレンタルをするのではなく購入する事で費用を圧縮し、その分、デイサービスにできるだけ行くと言う形でお願いしました。この方針は今も変わっておらず、つづけています。
睡眠時無呼吸症候群の発見
その後、特に大きな変化があったのは、母が睡眠時無呼吸症候群(SAS)を患っていることがわかったときでした。デイサービスのスタッフからのアドバイスで、母がSASかもしれないと教えて下さり、診断ができました。
特に睡眠中の血中酸素濃度が非常に低くなること、睡眠の質が悪いが見えてきました。それを、CPAPと言う簡易型の人工呼吸器のようなものを導入しました。すると、なんと、今まで色々な薬を使ってもなかなか下がらなかった血圧がするっと下がり、さらに他の病気の指標も一気に改善したのです。
CPAPを使うようになってから、母は脳出血を再発していません。この時、睡眠時無呼吸症候群を見つけてくださった介護スタッフの方には、いくら感謝してもしきれません。
記憶を探ると、私が幼いころ、まだ一緒に寝ているころから、母はSASの症状が出ていたような気がするので、母にとってSASによって睡眠の質が悪いことが当たり前になりすぎており、気付かなかったのかも知れません。
その後は、何度か入院することはあるにしても、しばらく安定していました。
次の大きな変化は新型コロナウイルス感染症下
次に、大きく母の様子が変わったのは、新型コロナウイルス感染症下の事です。病院に行ったところ、気持ち悪い、からだがふらつくと言うことで、入院。そのあと症状は落ち着いたものの、改めてリハビリをすることに。しかし、この時は新型コロナウイルス感染症下で家族の面談は一切できず、また、以前お世話になった母と相性の良いリハビリ担当の先生はもう退職されていなかったことなどもあって、母は基本、車椅子で生活するようになりました。
リハビリは、本人のモチベーション次第のような所があります。また、新型コロナウイルス感染症下では、なかなかリハビリも難しい所があったと思います。さらに、このとき、母が倒れてから10年の時が流れており、母もそれだけ歳をとっていました。
どうするか決めたこと:家で介護する。ただし、使えるものはなんでも使う
第一に、母に施設に入ってもらうという選択肢が出てくる状況です。この時、要介護度は4です。5段階で4番目に重い介護度です。 家族で相談し、一つの方針を立てました。まずは、情報を集めようと。
そこではみつけたのが介護ロボットです。これで、なんとか家のなかで暮らしていけそうな見通したが立ち、またケアマネージャーさまはじめ、関係者の皆様のご調整の結果、帰宅することにしたのです。
介護へのテクノロジーの活用
特に、我が家では介護ロボットを導入することで、大きな変化を見たことを述べたいと思います。このロボット、我々が購入したものは「ハグ」(Hug)という名前の製品で、介護保険を利用して導入しました。詳しくは別のエントリーで紹介していますが、簡単に言うと、安全に移乗ができる支援するロボットです。このロボットは私がいない時でも、父ひとりでも安全に乗り移りをさせる事ができるので、彼女の自立性を保つために大いに役立ちました。
また、IoTの力をつかって、見守りカメラを導入したりして、家族がつきっきりでなくても、ある程度母の安全を確保しました。これらのテクノロジーは、家族の負担を軽減し、一方で母が必要とするケアを提供するのに役立ちました。
さらに、当初の方針の通り、母は母が望む限り、できる限りデイサービスなどに行ってもらっています。これは父や私の労力を下げることにもなっています。
介護の現実と展望
しかし、正直なところ、介護は時間との戦いでもあります。子育てとは違い、介護は時間が経つほど容易になるものではないのが現実です。それでも、私たちは引き続き最善のケアを提供するための方法を模索し続けるつもりです。
介護は情報戦でもあります。新しい装置や治療法、サービスなど、どれが最も効果的であるかを把握するためには、情報が必要です。私たちは、これまでの経験から、情報を得ることが、効果的なケアを提供するための鍵であることを学びました。
まとめ
我が家での介護は、以下の様な方針でやっています。
- 社交的な母が自分らしくいられるよう、できる限りデイサービス・デイケアを活用して外に出て行く事を重視する
- 介護ロボットなど新しい道具を使うことで、できる限り快適に暮らせるようにする
- 医療は切らさないように、体調管理を行う
- リハビリは積極的に取り組めるように、家族で後押しする
- ケアマネージャ様はじめ、ご関係の皆様とできる限り連絡をとりあう
実は私は、父がわりと年齢をいってから子どもなので、私の年齢よりも父は高齢です。もう無理はできません。 私も、色々とできる状況ではありませんが、できる限り、今の穏やかな暮らしがつづけていけるように、していきたいと思っています。
私の経験が、他の誰かの参考になれば幸いです。それが、このブログを始めた目的の一つでもあります。
写真について
写真は、どこでとったか忘れましたが(汗) 私がドローンで撮影した写真です。高森町内から撮影したのは間違い無いはず。