退職のご挨拶(2023年5月20日付)
退職のご挨拶
私、松島英洋は、5月20日をもって現職を退職します。最後の出勤日は5月19日でした。
現職の規定で仕事に関する具体的なことは一切書けないため、ここではどんな経緯で私が会社にお世話になり、そしてどんな経緯で退職を決めることになったかということを少しだけお話しします。会社の仕事に関する具体的な話はないので、それを期待されている方は少し拍子抜けするかもしれません。それでも、もしよろしければお付き合いください。
就職の経緯
私がこの会社に勤めることになったのは、地元の専門学校(当時は「飯田コンピューター専門学校」と言いました。現在の飯田コアカレッジです)に在籍している時の話です。先生から「ある会社が、3D CADの講習会をやるから、そこに学生を2人混ぜてくれる。行ってみないか?」というお誘いをいただいたのがきっかけでした。
当時の私は専門的な知識はありません。CADについては学校のカリキュラムにあったので触っていましたが、3D CADのと言うものの存在すら殆ど知りませんでした。そして、まだ1年生だったため、就職活動を意識して会社を調べるなどはまだしていませんでした。
会社は、B2Bを中心とした会社です。そのため、単なる学生ではあった当時の私は名前すら知りません。どんな会社なのか全く知らない中で、単に「楽しそう」という理由でエントリーをした、と言うお話でした。
当時はそんな言葉はあまりありませんでしたが、今で言う所の「インターン」という奴だったのかも知れません。それでガッツリ5日間。何週かに渡って講習会を開いていただきました。当時はただ楽しくて、夢中で参加させていただきました。
そこで現れた会社の「偉い人」(当時はその程度しか認識できていませんでしたが、その後、現在に至るまでずっとお世話になる、尊敬できる技術者経営の方です)に、学校に求人票を出すから、卒業したら来てほしいと言っていただいたのです。先生からは「良い会社に内々定を頂いたようなものだから、そこにしなさい。他の就職活動はしないように」と言われるほどで、しかし、私にはそれほど実感がないまま、そして、殆ど就職活動というものをしないままに、そのインターンでさせていただいた会社の子会社に入れていただいたのです。
そうして、就職し、お世話になりました。
就職と成長
その後の話は、私が現在の会社に勤め、そして18年間仕事をしてきたということから始まります。私の現職は、南信州の地域では企業規模も大きく、歴史も深い会社で中堅製造業の子会社です。この子会社へは、設立と同時に別の子会社から転籍して入社したので、私はこの子会社の創立時からの社員、この会社と共にありました。 親会社は、地域に根ざすことを指向している会社です。従業員をきちんと雇用して継続的に地域に産業を作るという信念を持っている企業です。
そこで私は3D CAD、そして「CAE」数値計算力学という技術に出会い、使う機会を頂きました。それは私の仕事の中核となる技術となりました。
入った当時は完全にドシロウトで、皆様にご迷惑をたくさんたくさんかけたと思います。 それでも、そこで様々なことを生み出し、経験させていただき、おしえていただき、さらにそこから派生して学んだ機械力学なども私の力になりました。最近では、所属する子会社の社内ITを担当させていただいたり、社内での講師を務めさせていただいた所から、子会社社員という身ながら、親会社のエンジニアの皆様に技術(テクニック)をおしえる講習会をやると言うこともやらせていただきました。
さらには、信州大学で修士号を取らせていただいたり、外部の講演会で賞をいただく、社内の技術講演会で子会社社員の身ながら発表をさせていただくなど、様々な経験をさせていただきました。
直接的に携わった仕事上の事は、ここには書く事はできませんが、そちらでもたくさんの経験や、ワクワクするような仕事を与えてくださいました。
尊敬できるプロフェッショナルのエンジニアも多くいて、そういった皆さんと一緒に仕事ができたのは本当に幸運でした。皆様には、本当に感謝しています。
退職の決意:自宅介護への転換
介護が必要である母親と、最近体調を崩すことが増えた父親。私の父はかつての大きな存在が、だんだんと小さく見え、体力的にも辛そうにしている事を目にするのが増えていきました。また、母の病状も年を取るにつれて、悪化していくのは仕方が無いことではありました。そうして、家の事や、介護について、私が担う部分がどんどんと大きくなっていきます。徐々に、フルタイムで通勤する仕事ではバランスをとるのが難しくなり始めていることを感じていました。
これらを見て、私は自分がどのように生活していくべきかを考えざるを得ませんでした。特に学生時代は、普通の学生とは言えなかった私。両親はそんな私を励まし、育ててくれました。なので、私は、親を大切にすることを決意しました。
そして、私が自分の役目を見つけた時、会社にも変化がありました。元々、ほぼ一人で始めた分野の仕事が、仲間に恵まれ、上司同僚に恵まれ、私のスキルや仕事を引き継いでいただける方も出てきたのです。
一方で、会社の状況は様々で、技術的には可能でも、諸事情でテレワークやリモートワーク、在宅勤務といった形態が難しいという現実もありました。
そこで私は決断しました。在宅勤務が基本となる仕事に転職することにしました。
感謝の気持ち
私が今ここにいるのも、18年間の経験と、多くの方々から得た助けと支援があったからです。私が一人前の社会人になれたのも、この会社が私を見つけてくれたからこそです。転職活動で思い知りましたが、恐らく私は、今の会社に拾っていただけなかったら、せいぜい単なるコンピュータオタクで、何もできない人間だったと思います。本当に感謝しています。
しかし、時間というものは待ってくれません。それが私がこの会社を離れ、在宅勤務ができる別の会社へと移る理由です。
皆様には大変お世話になりました。私が学んだことを十分に返すことができず、心苦しく感じています。それでも、皆様が元気で過ごしていただき、多くの活躍と幸せを掴んでいただくことを心から願っています。
私はこれからも、このブログやSNSで皆様との繋がりを大切にしていきたいと思っています。私が5月21日から就職する新たな勤務先は首都圏にありますが、私自身は引き続き南信州の高森町で働き、在宅勤務を行う予定です。SNSやこの地で見かけた際には、ぜひお気軽に声をかけていただければと思います。
お世話になった皆様、本当にありがとうございました。皆様のご多幸をお祈りいたします。
でもできたら、何かあったら誘ってくれるとうれしいです。
今後について
次の職場はもう決まっており、5月21日付で入社します。私の都合で退職することもあり、有休消化などはとらずに、最後まで務めさせていただきました。
皆様は、介護と言えば大変だ、と思っているかも知れません。確かに、正直きれい事だけでは済まない場面もたくさんあります。皆様にご心配をしていただいています。
ただ、私はテクノロジーを使うことで、仕事と介護はきちんと両立をする事ができる、と信じています。それは介護ロボットやIT機器もそうですし、在宅勤務を可能にする技術でもあります。
もちろんテクノロジーを使う事のできる環境であるかどうかと言う問題はあります。もちろん、それに対応する個人のスキルも身につけ、アップデートし続ける必要があります。
しかし、介護をしつつ、更に仕事でもきちんとパフォーマンスを発揮すること、そして介護以外のプライベートや地域の活動など、そして介護も、ワークライフバランスをとることができると信じています。
私は欲張りで諦めが悪いので・笑 これらの両立を目指して、チャレンジし、頑張っていこうと思っています。見守っていただければ幸いです。
写真について
花束と、長い間同じグループで仕事をさせていただいた同僚の皆様から、お餞別の品を頂きました。トップの写真はその画像です。花束なんて、人生で初めて頂きました。そして同僚からいただいたペン。私はペンを無くす人なので(汗) 持ち歩くのではなく、机にキッチリ入れて大事に使わせていただきます。
また、同じ会社ではありませんが、新人の時代からず~っとお世話になった親会社のエンジニアの方からも、お餞別を頂きました。恐縮です。ありがとうございます。
きちんと形で残せるものにしたかったので、在宅勤務で使用する部屋用に、きちんとした電波時計を購入する為に使わせていただきました。大事にします。ありがとうございました。